【ひとり言】布ナプキン『うふふわ。』ヒストリー①

生理が大嫌いだった女が、布ナプキン屋になったワケ。

こんにちは。内田登代紀です。
福岡一?日本一?「代表」「社長」とかの肩書きが似合わないわたし。
こんなわたしが、布ナプキンのメーカーを経営しているなんて…正直、今でも(自分でも)不思議な感じです。笑

つい先日、「社長なんばSHOTオ~?俺のどん底ストーリー」というラジオの番組にゲスト出演させていただきました。
その時のユーストリームがこちら>>>

番組のタイトル通り、わたしの「どん底」ストーリーを暴露したわけですが…
そうやって改めて考えると、個人経営で小さく小さくスタートして8年間。
まったく何も…経営のことどころか、商品開発のことも、営業・マーケティングのことも…何も知らない、単なる一主婦が、今もこうして続けてやっている…
しかも布ナプキンの認知度をUPさせるべく、(微力ながらも)社会に貢献することができている…女性たちが自分の身体を大切にするヒントをお伝えできているということを改めて考えると、
振り返れば、その道は平坦なようで、やはり「それなりにイロイロあったなぁ…」なんてことを思い出しました。

これまで助けていただいた沢山の方々に感謝の念を発しながら…
うふふわ。の【ひとり言】で、わたし(内田登代紀)が布ナプキン『うふふわ。』を作り販売するまでに至ったヒストリーを、シリーズで綴っていってみようかと思います。
どうぞ、お付き合いください。

生理痛・貧血・PMS・カブレ…生理は大っ嫌いだった

遡ること15~6数年前…わたしは、美術系の短大を出て経理事務員の仕事を数年間かじった後、
「木の香りが嗅ぎたい」「手に職を付けたい」そんな安直な考えで、家具製造工場に丁稚奉公的な入社をしました。
おじいちゃんたち職人さんさんたちに紛れて、小さな身体で重たいものも持って汗水垂らして肉体労働をしていたんです。

今では誰からも「信じられない」と言われますが、当時はとにかく人とコミュニケーションを取るのが下手でした。あんまりおしゃべりな方ではなかったし、「営業」なんて絶対に向いてない!と思いこんでいましたね…。

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“職人見習い”なので、当然、職人さんたちが来る前から機械の油さしや掃除をするために、朝とっても早い時間に工場へ来ていました。夏の暑い日は機械の熱も加わり蒸し風呂のような工場。
木の香りも確かにするけれど…どちらかというと、木を削る機械の騒音と、速乾接着剤やシンナー(接着剤を掃除するための)の匂いの方が記憶に残っています。

そんな工場で女子が働くときにやっぱり「邪魔」だったのが…【生理】でした。
わたしにとっては魔の1週間でしたね…。
まず、腰に力が入らない。行きたいときにすぐトイレでナプキンを交換できない。なのに特に夏場はナプキンと汗でカブレてかゆい!貧血になってクラクラしたり眠くてボーっとしてしまう…。
元々ドジな性格なので、凡ミスをすることも少なくありませんでしたが、生理の時は特に集中力がダウンしてダメダメでしたね。

PMS(生理前症候群)もあって、すぐに「くよくよ」してしまう…弱虫な自分がまた嫌で自己嫌悪。の悪循環。

そんなことを引き起こす生理が、とにかく大っ嫌いでした。特に結婚や子どもにも興味がなかったのもあり「生理なんて来なければいい」とすら本気で思っていました。
でも、そう思えば思うほど、生理痛はひどくなってくるんですよね。

…そしてついに、わたしはやってしまいます。
最もやってはいけないミスを…。

怪我です。

左手の人差し指の先の爪側を丸ノコで、削ってしまったんです。 指を完全に落とすまではなかったのですが、骨まで削ったので…医者からは「もう爪は生えてこないと思ってください」と言われました。

わたしは、とってもショックを受けました…。
でも、それは、指の爪がなくなることにショックだったのではなく…、
「会社に迷惑をかけてしまった」ことと…
当時クラシックギターを趣味で弾いていたので「もうギターが弾けんくなる…」ということに対して。

実をいうと、当時からあまり自分の“見た目”に本当に興味がなかったので、別に女だからって爪がないことくらい、本当に何ともなかったです。(やっぱり、ちょっと変わり者ですね。)
でも、やはり…こんな役立たずな女の子であるわたしに対して、本当によくしてくれた工場の社長や職人さんたちには…お詫びのしようがなく…
すっかり自信とやる気を無くして、結局会社を辞めました。(幸いなことに指は今でも若干先が削れていますが、爪は全くわからないくらい生えてきました…!)

「挫折」

それからしばらくして、お付き合いした男性と電撃結婚(元夫になります)をすることに。
そして、ありがたいことに間もなく妊娠、出産…と、わたしの人生に大きな転機が訪れます。

挫折からの…人生の転機。ママという志事。

それまで全然興味を持っていなかった「ママ」という仕事にどっぷり浸かっていったのです。
赤ちゃんを育てるということは…わたしの想像をはるかに超える仕事量、忍耐力、そして…湧きあがるような…愛の感情。

「大変だけど、子育てって楽しい…!」そして、社会的にも「お母さん」という地位は、とても大切な役割なのだ…ということを実感して過ごす毎日。

大変だけど、とても平和な日々を過ごし始めたわたしに、ちょっと残念なことが起こります。それは…

生理が出産後2カ月で再開したということ…!!

嫌でしたね~!!ほんとに嫌だった。

確か「産後は1年~2年くらい生理がお休みする」と聞いていたので、
なんか…とても、とても“損”をしたような気持ちがしたのを覚えています。

そんなことをママ友達に愚痴ったところ…、
助産師さんから【布ナプキン】をおすすめされ。
彼女から「一緒に使ってみよう?」と誘われたのが、私と布ナプキンとの出逢いでした。

それは他社さんの既製品でしたが、それはとても気持ちがよく…
カブレないし、快適。
洗うのだって、想像していたよりも案外簡単で続けられました。

驚いたのが…、生理の塊はちゃんとトイレで出せるようになってきた、ということです。
最初はゲーム感覚で「さあ、出るかな!?」みたいな…人体実験のようなことをして楽しんでいる自分がいました。皮膚感覚がよみがえってきて感じやすくなったんですね。

…そう。あれだけ大嫌いだった生理、トラウマといってもいいくらい嫌だった生理が…いつのまにか「楽しみ」になっているのです。
これには、衝撃を受けましたね……。

そして、イイことはすぐにお友達に教えてあげたくなってしまう!!(←これは、たぶん潜在的なママの職業病。良い病気ですよね!笑)

使用中の布ナプキンは人に見せるわけにいかないので、【人に見せるため用】の布ナプキンをたくさん手作りしました。

布ナプキン_内田登代紀

これが当時、わたしが自分で縫った布ナプキン。

下手ですね~実に下手です。縫い目もガタガタで…今の『うふふわ。』職人さんたちには、とても見せられたものではありません。笑

こんなふうに色々な生地で色々な形のものを作って、人に見せていたんですが……周りの女性たちは皆手作りをする人たちばかりではありません。

「これ、どこで買えるんですか?」そんなことを何人にも聞かれました。
そのたびに「インターネットか…カタログ通販か…」
とモゴモゴと答えていましたが、そのときに思ったんです。

「そうだよね…こんなものこそ!手で見て触って選びたいよね…
よし!!ママ産まれの素敵な布ナプキンを、お店で売ってもらえば、みんなが買って使えるようになる☆」

こうして、わたしは布ナプキンを製造するメーカー(もどき)を始めることになったのです。『ママの手作り工房たんぽぽ』の始動です。
今でこそ、10名くらいの体制で職人さんたちもいますが、最初はたった1人の職人さん(その人もママで)から。
売れた分だけ作ろう…という感じで…小さくはじめました。

しかし…やろうと思ったことが何でもスムーズにすすむわけではありません。

何しろ…経営の「け」の字も知らない、わたしです。
原価ってなに?卸値っていくらにしたらいいの?どうやってお店で売ってもらえる??
何もかもわからないことだらけ。

そして、ついに…
どうしようもない事態が、そんなわたしを襲ったのでした。
ヒストリー②「知識・技術・お金・商業人脈なしの単なる主婦が初めてのプチ起業」へつづく…


素敵な女性たちが
すでに使っているものは…コレなんです
うふふわ。から、女性たちに伝えたいコト
生理の日が変われば、人生が変わる!?

あなたが楽に、幸せになれるヒント>>>

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