愛すれば愛される

生きるってなんだろう?とか
愛とはなんだろう?

なんてことを、わたしは子どもの頃からよく考えていました。
今思えば、やっぱりちょっと変わった子だったと思います。

40代中盤になってもその答えは
出ているような出ていないような
分かりたいような分かりたくないような
気分でいます。

ただ、すこし理解できたつもりでいることは

「愛する」と…
「愛される」ものだなということ。

例えば、それが一方通行の片思いだったとしても、

時間差で、愛されたり

あるいは、

他の人や事柄から愛されたり…という
違った方向からでも

必ず自分が愛した分と、
同じくらいの愛いやそれ以上の愛が
自分に返ってくる気がするのです。

でも、
親が子どもを想う愛を考えたら想像がつきやすいんですが、
親は子に将来その子に「何か返してもらおう」と思って、
毎日毎日一生懸命子育てをするわけではないですもんね?

愛とは…「無償」のものだと思う。

物やお金を与えてくれたり
何かをしてくれることで
「返ってくるもの」だ!という、
ギブ&テイクの打算があるのは…
それはほんとうの「愛」ではなく
(もちろんそれが愛の表現のひとつの場合も、あるだろうけれど)

たとえ相手がどう反応しようと、
自分のなかにある温かい優しさがあふれる気持ちのエネルギー

それを持って表現していると

なんとなく、それ以上の愛を…
ギフトされる気がする。

そういう「感受性」が芽生える、
のもかも、しれないですね。

逆に言うと、

もし
「わたしは誰にも愛されてないな…」と

天涯孤独な寂しさや
悲しみを感じるときというのは

もしかしたら、
他でもない自分自身が、
誰か(何か)に対して
本当には愛していない状態なのかもしれない。

わたしも以前付き合っていた人が、わたしから去っていったとき
「こんなに尽くしたのにな…」
と悲しく思ったことがあります。

でもそう感じるっていうことは…
打算し何かを返ってくることを期待してたんだと思う。
いつしかそういう風に相手を見るようになってしまった段階から
それはもうほんとうの愛ではなくなっていたから…

鏡のように、現象として
「愛されていない」事柄が
起こったのだろうと
今は、すごく腑に落ち納得しています。

家族や恋愛のことだけじゃなく、
仕事のことや趣味でも

こよなく愛することで
それらから愛される(愛を感じられる)ようになる。

それは自然の摂理のひとつなのかもしれない。

「愛は循環する」と言われるのは
かみ砕けばこういうことなのかなと…

「愛」については…とっても奥深く、
自由なことで人それぞれですね。

あなたにとっての愛とは、何ですか?

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